任天堂の携帯ゲーム機であるゲームボーイ、当時はより性能の高いカラーの携帯ゲームであるゲームギアやメガドライブなどが販売されていた時期にモノクロのゲームを出すという時代と逆行したかのような戦略だったが、テトリスやポケットモンスターなどのソフトに恵まれて大きく販売を増やしたゲームボーイについて解説をします。

ゲームボーイの始り

Game

1280万台以上を売り上げた任天堂初の携帯ゲームタイトルゲーム&ウオッチを発売していた任天堂が、その次世代ゲーム機器として発売した商品。

任天堂の携帯ゲーム機としては2つ目にあたる。

同社を玩具メーカーとして成長させた横井軍平が開発[4]。

初代ゲームボーイの開発期間は、当時の任天堂本社(京都市東山区福稲上高松町)の建て替えと重なっていた。

開発当初はファミリーコンピュータ(ファミコン)よりもはるかに高画質なメガドライブやPCエンジンなどが発売されており、スーパーファミコンの開発が進んでいた状況にあったため、社内でも「今さらモノクロで売れるのか」とあまり期待しない声があったが、ローンチタイトルに続き6月に発売された『テトリス』の売上本数は最終的に423万本を数えるヒットとなった。

エポック社から発売されたゲームポケコンに次ぐROM交換方式の携帯型ゲーム機である。

シチズンから液晶テレビ用のモノクロディスプレイの売り込みがあり、開発がスタートした。

本機はシャープと共同で開発し、シャープは40億円を投じゲームボーイの液晶開発用の工場を設立。

液晶は同社のものを使用している。

当時、据え置き型のゲーム機では使用できる色数の多さを謳う機種もあった中で、本機は乾電池の持続性と価格面の兼ね合いからモノクロ型(4階調)を採用している。

画面はSTN反射式モノクロ液晶。異なるゲームのあらゆる表現に対応する液晶表示として、細かい表示セグメントを縦横に格子状に敷き詰めたドットマトリクス式を採用した。

開発時はTN液晶の採用が検討されていたが、当時任天堂の社長だった山内溥の「画面が見られない」との意見でSTNに変更された。

STN型液晶は反射に弱いため、画面のコントラストを調節するダイヤルがついている。

コントラストを弱くするほど電池の持ちが良くなる。

ゲームボーイの液晶の寿命は短く、『スーパーマリオランド』や『アレイウエイ』などのようにプレイヤーの残り数が固定位置に表示されるソフトは、残り表示が見にくくなることがあった。

また、液晶の反射板が黄色(金色)に近い色で、ドットの配置されているLCDの大部分では液晶の灰色みがわずかに混じった鈍い黄緑色になっており、視認性は悪かった。

なお、ゲームボーイポケット以降ではベースをやや白色に変えたり耐久性を見直したこともあり、かなり視認性が向上した。

筐体デザインは、下部がアシンメトリーになっており、左側を軸にして本体を支えつつ十字キーを操作し、よく使うAボタン・Bボタンがある右側の下部は丸みをおびた曲線にして、本体が手首に当たらないように配慮している。

液晶保護カバーのフレームの色は、花札の『藤に時鳥』にちなんで『藤色』。

十字キーの『黒色』、Aボタン・Bボタンの『赤色』は、花札の裏紙の色を表している。

液晶保護カバーがついているために、中にゴミやホコリが入ると取り出せなくなり、非常に見づらくなるため、所有者の中には自らカバーを分解してホコリを取り除く者もいた。

また、カバーの影が液晶に落ち、画面最上部の表示が見づらいといった難点も生じた(この点は後にゲームボーイポケットで改善している)。

パッケージのデザインは横井軍平が行っており、これはデザイン費用を軽減させるためでもあった。裏面を付属品の説明にしたのも横井のアイディアである。

発注は、和多田印刷の北工場(当時)。

初代ゲームボーイの本体や初期の頃のゲームボーイソフトのパッケージに印刷されている、小さな四角は21個あり、本体の発売日の21日にちなんでいる。

初代ゲームボーイのCMは、3人の少年がゲームボーイを持って旅に出るというシチュエーションであった。

家畜車の藁の上で寝て、夜はたき火を囲みながらゲームに興じ、便乗した貨物列車から原野に飛び出すがゲームボーイを忘れたことに少年たちは取りに戻るというシーンが描かれた。

初代ゲームボーイには「パイロットランプ」が採用されている。このランプを安定して点灯させるための電圧が電池から得られなくなると、次第にこのランプの光がチカチカするので、これによって電池を交換するタイミングがわかる。

もっとも、電池残量が少なくなると画面の映りが悪くなるので、こうした形でも電池の残量は把握できる。

1989年に全世界で発売され、同時発売ソフトは『スーパーマリオランド』『アレイウエイ』『ベースボール』『役満』の4本だった。

他のゲームボーイと通信ケーブルで通信できる。主に対戦やデータ交換に使われた。

“RDY/ACK”信号(通信準備のための信号と、通信が正確に行われたことを証明する信号)が全くないために、通信を正確に行うにはトリッキーなプログラムが必要だった。

通信中にケーブルを引き抜くとデータが破損するという注意書きもあったが、通信中に誤ってまたは悪ふざけでケーブルを引き抜く事故が絶えず、これを利用してバグ技に使用するものもいた。

『ポケットモンスター』ではポケモンをコピーする裏技があった。

一般的にゲームボーイの音声チャンネルは本体のスピーカーでは、モノラルである。

ステレオヘッドホンなどを使用すると、自動でステレオにチャンネルが切り換わる。

最初の値下げの前まではゲームボーイにステレオイヤホン(外箱には「ステレオヘッドホン」と記載)が同梱されていた。

任天堂のニンテンドーDS用ソフト『トモダチコレクション』では、お宝として登場している。

2019年現在、ゲームボーイの一部のゲームソフトはニンテンドー3DSの配信サービスであるバーチャルコンソールでもプレイ可能となっている。

別冊宝島には1989年のサブカル・流行の1つとしてゲームボーイが紹介されている。

ゲームボーイ本体は1989年4月21日に12,500円(消費税3%税込)で発売後、1993年6月6日に「ゼルダの伝説 夢をみる島」発売と同時に9,800円(消費税3%税込)に価格改定(このとき専用ステレオイヤホンは別売に)が行われ、翌年1994年5月1日に8,000円(税別)に再度価格改定が行われた。

カラー全盛の時代にあえてモノクロのゲームボーイで戦った任天堂の結末

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